
サンバはどのようにしてブラジルの「国民音楽」になったのか?
ポルトガル、スペイン、アラブ、キューバ、インドネシア、そしてブラジル──長年にわたり世界中の音楽の発掘にその情熱を注いできた著者が、社会・経済・文化・風俗などの多面的な視点から広大なブラジル音楽の歴史を辿り、そのルーツに迫る画期的な一冊。
本書のはじまりは15世紀、旧宗主国のポルトガルが中心となった「大航海時代」に遡る。世界各地に植民地を築くため航海したポルトガル人たちの「栄光」と、植民地支配や奴隷貿易といったその裏側にも目を向けながら、まずはブラジルという特異な多人種国家の成立過程を整理していく。
19世紀に入ってブラジルにも市民社会が成立すると、ショーロのような音楽が次第に成熟しはじめ、20世紀にはレコードという新しいメディアの登場とともにサンバが誕生する。本書の中盤では、たんにサンバの黄金時代を音楽の面から解説していくだけではなく、その背景にあったヴァルガス大統領による強烈なナショナリズム政策などを読み解きながら、サンバがいかに「国民統合」の役割を果たしたかというその社会的な機能にも注目する。こうした視点はブラジルのみに留まらず、同時代のキューバやアルゼンチン、インドネシア、そしてアメリカ合衆国へも射程を広げ、さまざまな国のポピュラー音楽の比較を通じて新たな「ブラジル音楽」を描きだす。
また本書では、音楽以外の分野の専門書が数多く参考文献として挙げられている。本文中に登場する重要なキーワードには膨大な量の脚注がついており、ブラジル音楽ファンはもちろん、歴史一般に関心のある読者にとっても気軽に楽しめる構成になっている。
ポピュラー音楽というと、どうしてもアメリカ合衆国のジャズやロックを中心に語られることが多くなるが、ぼくはむしろブラジルやキューバを中心に据えて世界を眺め回すような視点があっても面白いと思う。多様な人種の存在をみんなが認め、それらの共存を目指そうとする社会。そしてそこで育まれたサンバやソンのような音楽の長寿の秘密をじっくりと見直す作業は、ポピュラー音楽の歴史を辿るための新たな視点になりうるのではないか。(序章から)
田中勝則(たなか・かつのり)
1959年、東京都生まれ。81年に『ミュージック・マガジン』で評論家デビュー。86年からブラジルで伝統サンバのアルバムをプロデュースし、本国をはじめ、欧米でも好評を得る。90年前後からはインドネシアなどアジアの音楽も手掛け、評論家として記事やCD解説を執筆する傍ら、97年に自身のレーベルであるライス・レコードを設立。新録から復刻まで数多くのアルバムを制作した。著書に『インドネシア音楽の本』(北沢図書出版)と『中村とうよう 音楽評論家の時代』(二見書房)。

ブラジル音楽歴史物語
田中勝則(著)
定価3520円(本体3200円)
A5判522ページ
2025年3月1日発行
レコード・コレクターズ3月増刊号
[雑誌19638-3]
2月14日発売
- <もくじ>
-
- まえがき
- ブラジルとリオデジャネイロの地図
- 本書のポルトガル語表記ルール
- 序章 「最初のサンバ」からはじまって
- 1章 植民地時代のブラジル
- 2章 モジーニャとショーロ
- 3章 ポピュラー音楽の誕生
- 4章 サンバの黄金期
- 5章 「新国家」時代のブラジル音楽
- 6章 ブラジル音楽の転換期
- 7章 サンバ・カンソーンのモダン化
- 8章 ボサ・ノーヴァの誕生
- 9章 MPBの青春時代
- 10章 サンバの復興
- 11章 ブラック・ミュージックの躍動
- 12章 MPBの成熟
- 13章 長かった軍事政権が終わって
- 14章 ポスト-モダンの時代のブラジル音楽
- 終章 「無中心」の時代のサンバとショーロ
- コラム
- SPレコード写真館
- 世界中に散らばったショーロの「兄弟」たち
- サンバの打楽器アンサンブル
- クラーラ・ペトラーリアとブラジルの「新民謡」
- リオのサンバの粋──「新しいボッサ」と「古いボッサ」
- ウィルソン・モレイラと「和声大国」の複雑なハーモニー
- パルチード・アルトのミステリー
- 遊び心と甘さに満ちた架空のピシンギーニャ作品
- 写真でたどる『ブラジル音楽歴史物語』
- あとがき
- 脚注索引・参考文献
- 奥付